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千田と舟入と市女の環
千田保育園のなりたち
千田保育園は、広島市立高等女学校(通称「市女」)の同窓生によって1953年(昭和28年)に設立されました。学制改革により母校が姿を消し、戦争と原爆によって多くの仲間を失った卒業生たちは、心の拠り所を求める中で「母親たちの子育てを支えたい」という思いを共有します。その志のもと、同窓会が主体となり、全国でも珍しい“同窓会運営の保育園”として誕生しました。資金も設備も十分ではない状況からの出発で、卒業生たちはバザーやダンスパーティーを開き、一口200円の寄付を募って同窓生を一人ひとり訪ね歩きました。戦争で断ち切られた人と人とのつながりを、子どもたちの未来のために再び結び直す営みでもあったのです。この取り組みは天皇陛下の耳にも届き、2度にわたり賞状と金一封が贈られています。園では「揺籃(ようらん)を動かす手が世界を動かす」という理念を掲げ、優劣をつくらない保育方針を大切にしてきました。
現在では、広島市立舟入高等学校との交流が継続的に行われています。文化祭(舟入祭)や合唱祭での共演、舟入高校生の園訪問などを通じて、世代を超えた交流が育まれています。市女から舟入高校、そして千田保育園へと受け継がれた教育の精神は、慰霊行事や被爆継承の活動とも結びつきながら、地域の歴史とともに今も息づいています。千田保育園は単なる保育施設ではなく、戦後広島の記憶と同窓生の思いを未来へつなぐ象徴的な存在として、現在もその役割を果たし続けています。
広島市立舟入高等学校と、その前身である市立高等女学校(市女)、そして市女の同窓生が設立した千田保育園の歴史と絆を描いたドキュメンタリーです。どうぞご覧ください。(制作:舟入高校47期の皆様)
原爆死没者慰霊式典
広島市中区の平和大橋西詰(元安川河岸)に建つ慰霊碑は、1948年8月6日に建立されました。1945年8月6日、爆心地から約500mの建物疎開作業現場にいた広島市立高等女学校の1・2年生541名と職員8名が全員亡くなり、他の動員先も含め676名が被爆死という市内の学校で最多の犠牲者数です。碑の裏面には当時の校長・宮川雅臣の短歌が刻まれ、中央の少女像が持つ箱にはアインシュタインの「E=MC²」の公式が記されています。これは連合軍占領下で「原爆」の文字が使用できなかった当時の事情を反映したものです。毎年8月6日には、この慰霊碑の前で原爆死没者慰霊式典が行われており、千田保育園も参加しています。

